稲田直樹の幼少期が神すぎ!家族(親や兄弟)は似ているのか!

芸人

お笑い芸人からも人気があるアインシュタイン稲田直樹

インパクトが大き過ぎる顔のことは、ネタでもあり、もはや触れなければ失礼です。

しかし、もし幼少期から今と変わらずだったとするとかなりイジラれることも多かったはずです。

稲田さんは小さい頃からそれほどハートが強かったのでしょうか?

本当に顔は変わらずだったのでしょうか? 

そんな稲ちゃんの幼き頃から振り返り、どんな家族がいるののか見ていきましょう。

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アインシュタイン稲田直樹の家族構成


稲田直樹さんは、大阪府四條畷(しじょうなわて)市に生まれました。

稲田直樹さんはブサイクナンバーワンでもありますが、多くの名言も飛び出すイケメンハートを持っている事でも有名です。

そんな稲田さんを育てた両親がどんな人か気になりますよね。

幼少期を過ごした大阪にいる家族とはどんな人なのでしょうか。

稲田の両親はお笑いに反対


稲田さんの顔は両親のどちらに似ているのか気になるのですが、一般人でもあるため、残念ながら写真などはありません。

また、時々芸人の親がテレビ番組などに出演することもありますが、今までそういった事もなく顔を確認することはできません。

しかし、稲田さんが芸人を目指そうと親に報告した時、母親に「人見知りなのにそんなんになれるわけないやろ!」と反対された事があります。

元々、配線工事などで手に職を持っていた稲田さんに、わざわざ苦労する道へ進んでほしくないという親心ですよね。

しかし、活躍を知った現在は応援されているとのこと。

稲田に兄弟は激似というのは本当か?

本人からは兄や姉などといった兄弟がいることは話されていませんが、甥っ子と遊ぶ稲田さんがインスタでアップ。

甥っ子がいるということは兄弟もしくは姉妹がいるということ。

ただ、兄弟も一般人ということもあり、母や父と同様にまだ写真などは公開されておらず、見ることはできません。

どのくらい稲田さんに似ているのかはやっぱり気になるところ。

何人なのか、兄なのか姉なのか、はたまた弟や妹なのかといった情報は随時チェックし、分かり次第更新します。

アインシュタイン稲田直樹の幼少期・画像あり

先生にいじめられてると思われるも本人は思っていない。

稲田直樹さんといえば、やはりあの特徴的な顎。幼少期から出ていたのでしょうか。

それとも何かきっかけがあって出てしまったのか。顎変形症なのでは?

幼い稲田さんを見ていけばわかります。

幼少期(当時1歳)・赤ちゃんの頃

1歳の稲田直樹さん。

アメトーク!で公開された写真。

その時のゲストからは、「普通」「かわいい」など言われとても和やかな雰囲気にもなりました。

もう一枚の写真もまだ1歳ということで髪ももまだまだ少ない時期。でも、天然パーマであることがわかりますね。
泣き叫ぶ稲田さん、なにがあったのでしょうか!

幼少期(当時3歳)・幼稚園から面影が


続いては、幼稚園児となる3歳頃の稲田直樹さん。

顎を出したポーズの影響からか、この頃から徐々に今の面影を感じるところではないでしょうか。

実際、写真だけを見ていくとこの頃から形が変わってきたのが。

元気一杯に外で遊ぶ派だった稲田さんは、人気者だったそうです。

お買い物にでかけた先の商店街では、おば様方から「いなちゃん」「なおちゃん」などと呼ばれ可愛がられていました。

幼少期(当時6歳)・小学生で既に出来上がる


夕日の保安官役を演じる稲田さん。

目つきもだいぶ今に近い、顎も若干出ているのかな、といった印象です。

でも、このときの稲田少年の当時のあだ名一瞬だけ『メガネくん』になりました。

というのは、本当にイジったら悪いと思うと避けてしまうのが人間。
そういうことに気を使う地域だったようで、はじめのうちだけかなり周囲が気を使ってしまうことに。

アインシュタイン稲田直樹の中学校や高校

小さい頃は人見知りでも活発だった稲田さん、中学校では暗い学校生活を送っていた事を『人生が変わる1分間の深イイ話』で告白しています。

幼少期を過ぎ中学生になった稲田直樹


中学時代、ラルクアンシエルのhydeさんのファンでした。

実はこのhydeさんと自分をまじまじと見比べた時初めて自分の顎が出ている事に気付いたそうです。

そして、コンプレックスを抱いてしまった稲田さんは、本来の人見知りだった性格もわざわいし、消極的になってしまいました。

あの稲田さんもずっーと前向きな性格では無かったんですね。誰にでもそんな時代があって、

そして、転機が訪れたのが高校時代でした。

高校生の友人らにより今が出来上がる


高校は大阪にある四條畷北高校を卒業している稲田さん。

平成22年に高校は統合計画があり閉校してしまいましたが、偏差値は当時42だったとのこと。

このときの友人とは今でもお付き合いがあるようですが、どちらかと言うとヤンチャな友人達です。

入学当初から目立ち注目されていた稲田さんは、静かな子達ではなく、少しヤンチャだった友人らにイジられ、一緒に学生生活を送ることになります。

当時を振り返る稲田さんはこう言っています。
「ずっとモヤモヤしていた。ずっと遊んで欲しいって思ってた。そっからすごい楽しくて、笑ってくれるのがすごい嬉しかった。自分が自虐していても笑ってもらえたらそれでチャラになる」

つまり、遊んでもらえた友人達と自虐ネタで無理に付き合っていたわけではありません。本人もイジられてはいるが、イジメられたことはないと話しています。

周りからイジラれ過ぎる稲田さんを見て、心配して声をかけてくれることもあったようです。そんな友達に稲田さんは優しさを持った上でイジられていると感じることが出来たそうです。

しっかり、いじめとイジリの区別があったわけなんですね。

つまり、友との信頼関係が築けた環境で学生生活を送れたことが楽しかったのではないでしょうか。

この高校時代に人を笑わしたい”笑い”に目覚め、その後NSCに入るきっかけの一つでもありました。

まとめ・アインシュタイン稲田直樹の幼少期が神すぎる!

人見知りな性格でいながら、人を笑わすことにとても喜びを感じる『ブサイクのプロの幼少期時代』いかがでしたか?

意外にも幼少期の稲田直樹さんが人とは違う特徴に気がついたのは中学生でした。

それに、思春期ということもあったかもしれませんが、あの稲田さんもはじめからポジティブ思考ではなかったのにも驚きです。

でも、その後は良い友人達に出会い、芸人の卵として開花した稲田直樹さん。

今後も自虐ネタでどんどん笑わせてください!

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